いま、「出版界のTPP」といわれているのが、8日の朝日新聞でも一面で記事になった「電子書籍の価格決定権、アマゾンが出版社側に要求」という問題です。
アメリカの企業であるアマゾンが、日本の出版物の電子書籍化における価格を全部決めてしまえるというもくろみです。
そうなってしまったら、出版社は自律性を失い、下請け業者と変わらない存在になります。
アマゾンからの要求を受けた出版人から聞くところによれば、現時点で電子書籍における最初の価格設定を、紙媒体で売る場合の半額と提示があった模様です。
出版社の編集者から「これでは利益が出なくなる」という声を聞きます。
出版社にとっては打撃でも、著者にとっては、直にアマゾンと契約すれば逆に印税率は高くなるからいいではないかと囁く向きもあるようです。
しかし、いくらなんでも「もう出版社はいらない。著者が直接本を出せる時代だ」などと能天気にうそぶく輩は、少なくとも僕の顔見知りのライターの範囲内ではいません。
だって、ちょっと古くなった映像コンテンツが十把一絡げの安い値段でやりとりされるのを、もう十分にネットの世界で見てきているじゃないですか。
アマゾンは既にロープライス料金を設定し、過去に出た本を最低「一円」の値段で売っています。
値段は、アマゾン側の都合でいくらでも下げられるのです。
僕ら書き手の生活が危ぶまれるのも必至ですが、それこそ街の本屋さんは、多くの売上高経常利益率が1.0%以下のところでやっています。
そんな条件で頑張って本を一冊一冊売ってくれてるというのに、出版社が電子書籍に価格決定権を明け渡してるとなったら、どうでしょう。
「バカバカしくて、やってらんねーよ!」って思うんじゃないですか。
そしてこれこそが、アマゾンのもくろみではないかと僕は思ってしまいます。
本屋さんは、次々となくなっていくでしょう。
「電子書籍なんかにしなくたって、紙媒体で売ればいい」と思ったところで、本屋さんがなくなってしまえば、どっちみちアマゾンに握られてしまうのです。
アメリカでは今年2月にボーダーズという業界第2位の書店が倒産しています。
日本は、ペーパーバック主流の欧米に比べて、装丁や紙質の種類も豊富で、本をただの印字物としてではなく、触れて楽しむという文化があります。書店は町の中にあり、人々が通勤通学や散歩のついでに立ち寄って、面白そうな本を手に取る習慣があります。
以前に比べて衰えたりとはいえ、そうした文化があるから、出版文化は成り立ってきたのです。
ここは、やはり出版社にがんばってもらわないといけません。
たとえばゴー宣のあの厚みを両手でがしっと手に取り、知的好奇心をエネルギーに変えていこうとする醍醐味が奪われてしまわないよう、これを読んでいる皆さんも警戒する側にまわって頂ければ幸いです。